結論:砂糖は『テンサイ』から採っている。
砂糖の原材料となるものは、次のようなものがある。
結論:幻想郷内にて塩は採れない。
塩分の含まれる他の食材でで塩分補給をしているか、
もしくは外の世界から何らかの形で得ている。
いきなり何ともしがたい結論を述べたが、以下、幻想郷にて塩が採れない
理由を考察する。
幻想郷の塩を語る上で参考となるのが、『東方儚月抄』である。
以下、考察に必要な文章を抜粋する。
- 「幻想郷に海は無い」
(作中に数回登場するフレーズ)- 「海とは塩化ナトリウムなどの塩分が溶け込んだ膨大な量の水を湛えた、
言わば大きな湖である。地表の七割を覆う海水。そんな物をどうやって作る
というのだろうか。幻想郷で岩塩が見つかった形跡はない。そんなに大量
の塩なんていくら人間の血液を集めたって……いや、そんな塩分の問題ではないな。」
(小説版p173より)
「(レミリアは)どうやって塩を入手するのだろうか」という流れである。
↓
「幻想郷に岩塩は無い」
↓
「まさか人間の血から…」
結論:幻想郷内にて塩は採れる。
塩泉製塩により幻想郷内の塩需要をまかなうことは可能。
これは、武原秋泉氏から頂いた考察文である。
上述した筆者の考察の結論に対する意見文ではあるが、
確たる資料と十分な信憑性を持ち、筆者も大いに納得するところとなった。
このため、武原氏の了解を頂き、ここにその要約を記載することにする。
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小説儚月抄において言及されているのは、「地表の七割を覆うという海水を再現するほどの大量の塩を得るには、『海塩を除けば』その程度しかない」という意味に読み取れる。
神主が言う海というのは『図書館のプール』程度の海ではなく、『幻想郷の面積に対して七割を覆う広さの海』ということである。
故に、『大量の海水』を作るだけの『大量の塩』を得る為の手段として岩塩と血液が挙がったのではないかと推測できる。
では、なぜ岩塩と血液が候補に挙がったのかを考察する。
まず、世界の塩生産方法として全体の28%近くを占めるのが岩塩である。
海塩を除いた際に思い浮かぶ塩として、海塩の次に生産量の多い岩塩が出てくるのは自然であろう。
次に、問題の『血液』であるが、これは突拍子もないと言い切れるのだろうか。
そもそも考えてもみれば、海塩と岩塩を除いて、前述の海を作ることのできる(又はそれに近付けることのできる)程の『大量の塩を得る手段』というと、思い浮かぶものは無い。
この場面での説明は『吸血鬼たるレミリアが幻想郷に海を作ると言いだしたこと』に関するものであるので、「レミリアが塩の問題を解消しようとした場合、彼女はどういう方法を取るだろうか」ということを『レミリア(吸血鬼)の視点から考えた場合』のものであると考えられる。
そのため『吸血鬼らしい考え』として『血液』が出たのではないだろうか。
それらを踏まえた上で、この場面の説明では『海という大量の海水を作る為に必要なもの』として岩塩と血液が挙げられているというだけであって、「幻想郷内にて塩は採れない」ということを言っている訳ではないのだと結論する。
ちなみに一番自然ではないかという製塩方法は、『山水塩』即ち『塩化物泉』であろう。
いわゆる『塩辛い温泉』などの、山間に湧き出る温泉ないし水を利用した製塩によるものである。
幻想郷は周囲を山々に囲まれた地域であるし、何より活火山である旧八ヶ岳がある。
地下には旧地獄があり、『地霊殿』において間欠泉が吹き出した例もあることから、地下に温泉水脈があることは十分に考えられる。
さらに、この『塩化物泉』説の妥当性を裏付けるために、日本国内における実際の『内陸製塩』の例を採り上げる。
まずは、長野県の例である。
長野の大鹿村鹿塩というところには古来塩井があって、これはご存知『武御名方神(タケミナカタノカミ)』がこの地で狩りを催した折、鹿が好んで飲む水を飲んでみたことから発見したと云い伝えられているようである。
井出道貞の『信濃奇勝録』という記録によると、「鹿塩の里は高遠より八里飯田へも八里ありて前岳の麓に有」と記述されており、鹿塩という処もしっかり山中であったようである。
同資料には、「この地には塩川という川があって、その辺には塩井が多い。中でも特に多く出る処が二ヶ所あったが、内一つは洪水により埋もれた」とあり、「今は塩畑と呼ばれていて、大きさ四尺ばかり擂鉢形の処があり、この岩中より塩水多く湧き出る」と、かなり具体的な記述が載せられている。
「焼けば白塩となって、焼かずに使用しても焼き塩のようである」ということらしい。
里人はこの塩水を『塩水ヤナ』と呼ばれる約二十七リットルもの水が入る背負い易い樽に汲み取っていき、煮物や漬物は勿論のこと、味噌や醤油に至るまで広く使用していたようである。
次に、福島県の例である。
福島の塩沢村(現在の福島県南会津郡只見町塩沢周辺か)という村なのだが、『塵塚物語』という文書に「塩沢村近辺の山間に塩泉の湧き出す洞窟があった。
塩焼小屋が6軒もあり、村民が農業の合間に製塩しており、他の村まで供給していた。
味が軽く、白い塩だった」というような記述があるそうだ。
『福島県史』所収史料の『津川廻り御囲塩駄送人足代御免願』からは、峠越えで運ばれた尾道塩と、地塩(塩沢で生産された山塩)だけで需要が賄われており、塩沢産山塩の供給圏が村外(奥只見大塩11か村)に広がっていたということも読み取れるそうである。
「村民が農業の合間に製塩し、他の村まで供給していた」というのは、自給を満たした上で供給していると考えるのが自然であろう。
藩政期には山越えで入ってくる瀬戸内塩と合わせて消費圏を形成していたという話であるから、地塩のみで全地域へ賄えるほどではなかったようだが、この示唆を得た記述によれば「奥只見大塩11か村」というのは地図で見る限りかなりの広い範囲であったらしく、これは単に消費圏の規模的な問題ではないかと言っている。
さらに大塩村(福島県耶麻郡北塩原村大塩)でも塩泉製塩が行われていたようだ。
また『新編会津風土記』という資料に、塩井の数や大きさ、塩が乏しいのを見た弘法大師が塩井井戸を湧き出させた伝説、塩を焼いて生業とする者があったことが記録されているようである。
さらに『半日閑話』という資料に、海辺から離れた山中で塩を焼く珍事として紹介し、「例年会津守護より公方様へ献上」と記録されているらしく、当時としても珍しいことだったのだろう。
古代にさかのぼる弘法大師の湧出伝説だけでなく、「浦遠きこの山里にいつよりかたえず今でも塩やみちのく」という西行法師の歌もあり、かなり古くから製塩が行われていたことがうかがわれる。
また上記地域以外だと、山形の小野川では塩泉に何度も砂を撒いて乾燥させ、得た鹹砂を溶出して鹹水を作り、その鹹水から結晶塩を生産していたという。
栃木の栗山村というところでは、塩泉から汲み上げた水をそのまま調理に使っていたというところもあるようである。
幻想郷がどの地域に属しているかは判らないが、これらの記述から少なくとも内陸製塩のみでも共同体全域に十分な量の塩を供給することは可能だと判った。
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以上、貴重な御意見ありがとうございました。
[参考リンク]
●財団法人塩事業センター
●塩の情報室
結論:色々な作物から普通に作れる。
酢は世界最古の調味料とも言われており、その種類もかなり多い。
以下の2系統に大きく分類される。
結論:塩さえ入手できれば問題なく可能。
醤油は、大豆及び小麦を麹菌や乳酸菌、酵母などで発酵させた調味料である。
日本の食文化と切っても切れない関係で、醤油無くしては成り立たない料理も
多い。古くから製造されてきており、幻想郷が隔離される前から人間の里に醸造元
があったとすれば、技術的な問題点は無いだろう。発酵に必要な菌類もすでに
持っていたとすれば問題無い。
ああ、だがしかし、問題は原料なのだ。
醤油の製造には塩が欠かせない。
そして既述したように、幻想郷の塩の入手経路はやはり謎なのだ。
塩の問題がクリアできれば、他の材料の栽培は十分可能であるため、幻想郷製
醤油は実現可能である。
幻想郷が日本のどこにあるのかで醤油の傾向(濃口か淡口かなど)も分かるが、
そもそも塩の入手性自体が疑われるような地理環境のため、塩分のより少ない
濃口系ではないか、いやもっといくと減塩醤油のようなものが主流ではないか、
と想像。
(蛇足。神主曰く「幻想郷は東北か四国の山の中のイメージ」らしいが、最近は
神主の地元の信州のイメージも入っているのでは、と言われている。醤油の味
を特定するには、広範囲過ぎる。)
結論:塩さえ入手できれば問題なく可能。
味噌は、主に大豆を原料とし麹や塩を混ぜて発酵させた食品、調味料である。
元々は保存食として食されていたなど、その用途は幅広い。原料や発酵期間に
よって様々な種類がある。
ああ、だがしかし、醤油と同じく味噌も塩が欠かせないのだ。
塩以外の原料、製造技術の問題は醤油と同じくほぼ無いと言っても良い。
塩だ塩!塩が問題なのだ!
参考:「調味料辞典」さま http://spice.kh23.com/flavor/